長年、ファッションの中のヘアの仕事と言う立ち位置で仕事をさせてもらっているが、西洋文明のつくり上げたルネッサンス時代〜20's・30's・40's・50's・60's・70's・80'sなどのファッションに付随するヘアやメイクアップは素晴らしい!そして、アイコンとされる女優やモデルもたくさんいる、、
しかし、それとは反対側にいる先住民達の民族衣装やメイクやヘアスタイルは流行などに囚われる事なく、美しく、力強い、。
この違いは何だろうか?
西洋のファッションシーンも時として民族的な要素を取り入れた物もあるが、しかしそれは流行としてだ。
先住民、特にネイティブアメリカンの場合、部族は違えどさまざまな共通点がたくさんある、それは自然に対する考え方、もしくは宗教観の一致である。
申し上げておくが、どちらが優れていてどちらが劣っていると言っているのではなく、ただ違うのだ。
ファッションの仕事というと大抵の場合は西洋文明の中のことみたいになっているが、この仕事を続けていくと必ずと言っていいほど反対側の先住民族の文化やスタイルにぶち当たる。
そもそも我々日本民族も、もともと先住民的なDNAを持っているのにも関わらず、気がつけば西洋文化にどっぷりで、民族的思考はどこへやら、、になってしまっている始末である。
私は、何故、ネイティブアメリカンやアフリカンが髪を編む文化があるのか、、髪を編むとは彼らにとってどんな意味を持つのか?、という疑問から、知れば知るほど、生活様式や自然に対する考え方に魅了されて行った、
そう、、彼らには所有をするという概念がないのだ、大地からの恩恵は共有するのが当たり前の文化なのだ、しかし、我々現代人はどうだろう?、、
大地を切り売りし、ロープを張り巡らせ、こっからここは俺の土地だ、、などなど、海にまで線を引こうとしている。
かつて歩んだ我々日本民族の、縄文時代や江戸時代は私達が認識しているものでは無く、素晴らしい時代だったと聞いている、
我々が思い描くそれらの時代のイメージただの刷り込みに過ぎない、日本民族が誇る、縄文時代や江戸時代は所有と言う概念は無く全ては共有でしかなかった丸い社会構造だったのだ、その証拠にそれらの時代の営みの中には戦争はなかった、、丸い社会を目指して、、。
これからは全てに置いて何よりも心が大切になるだろう、、。
心で始まるんです、何事も、そしてその心を学んで行くんです。
TETSU
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